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「未来妙法蓮華経」という小説(石川英輔著:講談社文庫)は、私が今まで一番影響を受けた文学作品です。 別に宗教書というわけではなく、荒廃する地球の再生に立ち向かう一組の若い男女の物語で、それを鷲頭山(りょうじゅせん)の釈尊が、弟子とともに、時空を超えて見守っている、という近未来小説の筋立てとなっています。 その中で、「魂と脳と物理学」という章が、強く私の心に残りました。 以下に、その内容を要約してみます。 ある程度の大きさ以上の物体を扱う古典的力学では、物体は客観的存在としてそこにあって、一定の法則にしたがって動くものとされる。 しかし、超ミクロの素粒子になると、観測するまでは、ある確立でしかそこに存在せず、観測すると同時に、そこにはっきりと存在するようになる。 つまり、素粒子は、はじめからそこに存在するというようなものではなく、一種の「相互関係」に近いものといえる。 量子力学では、観測することによって、電子の存在が影響を受ける。 これについては「二つのスリットの実験」が有名である。 平らな金属板の面に、二つのスリットをあけておき、そこをめがけて電子を一個ずつ発射する。 本来、電子というのは最小の単位で、これ以上二つに割ることができないものだが、電子は、二つのスリットの双方を通りぬけてしまう。 この場合、どちらのスリットにも、ある確率をもって、部分的に存在しつつ通り抜ける、という言い方しかできない。 ところが、両方のスリットに電子の検出装置をつけて観測すると、必ずどちらか一方を通り抜ける。 観測することによって、電子が実在することになるのである。(「量子力学の観測問題」) つまり、量子力学の世界では、科学者は、研究対象から切り離された立場で自然現象を観測するのではなくて、科学者自身も観測対象の一部分になってしまうのである。 このような現象をいかに説明するかについては、ニールス・ボーアの「コペンハーゲン解釈」というのがあって、「量子は、人間が常識で考えるような意味での物質的なものではないので、観測された事実だけを考えればよい。」とされ、一応の決着をみている。 しかし、フォン・ノイマンの「意識説」、あるいはノーベル物理学賞をとったE.P.ウィグナーの進んだ考え方によれば、もう少し別の説明が可能なように思える。 すなわち、 観測した人間の意識に電子が影響されるのではないか、 物質系と人間の意識との相互作用が、そのような現象を引き起こすのではないか、 人間の意識は、脳の外まで広がることができて、外界に物理的影響を与えることができるのではないか、 ということである。 最近の量子力学では「意識は空間的に非局所的である。」という言い方をする。 これは、ある面、物理的実在が意識を作るのではなく、意識が実在を作り上げるものといえる。 言い方を変えれば、「脳があるから意識があるのではなく、脳は意識の乗り物に過ぎない。」ということにもなる。 また一方で、素粒子を観測する影響は光以上のスピード(無限大の距離に、超光速で)で伝わるということが、1981年、パリ大学のアラン・アスペの実験で証明されたといわれている。 「分離した2個の素粒子が、その後どれほど遠く離れても、お互いに作用を及ぼしあい、しかも、その伝達速度は光速より速い。」 (アインシュタインの相対性理論は、この点、修正を余儀なくされる。) まさに、「観測の効果は、ゼロ時間で、無限の彼方に伝わる。」のである。 最後に、小説の主人公の印象に残る会話をご紹介しておきます。 「メグ。それは、本当だよ。ニュートンの力学によれば、きみがそこで立ち上がっただけでも、ちゃんと距離の二乗に反比例し、質量の積に比例して、宇宙全体に影響しているんだ。」 この小説を読んだことが下地となって、私は、量子力学を調停理論に応用しようという動機を持つことになるのですが、それについては後日述べることにしましょう。 |
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